昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(楠町 宮崎 洋子さん)
宮﨑洋子(当時小学生)小学校で習字の時間に地震が起きた。先生がいつもと違う尋常じゃない声で机の下に入るよう命令した。グラウンドへ避難したら、東洋一といわれていた石原産業の煙突が折れているのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市(旧三重郡八郷村)森 逸郎さん)
森逸郎(当時、5歳)は、自宅の縁側にいるとき、母親に言われて釜戸のところへ行き、足台のうえにいたときに揺れが起きた。慌てて履物もはかず、裏口の方へ行こうとしたが、足が思うように進まなかった。やっと裏口から外へ出ると、浄泉寺が大きく揺れ、傾いて見えた。後で兄と寺へ上がると、寺の裏の墓が全部倒れていた。
昭和19年東南海地震 体験談(三重郡八郷村 現四日市市平津町 服部 泰道さん)
服部泰道(当時、8歳小学校2年生)は、教室で漢字の書き取りの練習をしていたところ、窓がガタガタいうので、最初は風かと思ったが、誰かが地震だと言った。どうしようか考えていると担任の中村先生が血相を変えて教室に飛び込んできて、外へ逃げなさいと言われた。慌てて廊下へ飛び出したが、廊下の床が弾むように揺れ、足を取られて前に進めなかった。
昭和19年東南海地震 体験談(三重郡八郷村 現四日市市平津町 鈴木 怜子さん)
鈴木玲子(当時、11歳小学校5年生)は、小学校の運動場に整列し、先生の話を聞いていた。カタカタ小さく揺れていると思ったら、大風が吹き、砂を巻き上げるなか、大きな揺れが来た。揺れの間、ずっと大風が吹いていた。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 白峰 圭子さん)
白峰圭子(当時5歳)子供だけで留守番中に被災。柱にしがみついていた。石原産業の煙突が無くなっているのを後で見た。被災後、近所で助け合いをしたのを覚えている。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 森下 頴幸さん)
森下頴幸(当時16歳)四日市市の第二海軍燃料廠に勤務中に被災。石原産業の煙突が倒壊。実家が五ヶ所のため帰省する。津波で水浸しの為、復旧を手伝う。昭和東南海・南海・三河の地震体験日記あり。
四日市高等学校七十年史
1944年東南海地震の際の体験談として、授業中に大地震が襲い、再建中の校舎がつぶれたこと、動員先の板ガラス工場の3本煙突が真ん中から折れたことなどが記されている(P591~592)。
四日市市水道五十年史
1944年東南海地震の際、四日市市内での揺れによる建造物の倒壊被害や、臨海部工業地域の被害状況、上水道施設が臨海部を中心に配水管の折損や接合部の緩みのため漏水を起こしたことなどが記されている(P173