昭和19年東南海地震 体験手記(南伊勢町 萩原 敏男さん)
萩原敏男(当時19歳)
私は第二次世界大戦による招集を受けており、入隊を数日後にひかえて、父とみかん山で大石など重い物の片付けをしていた。突然足下をすくわれる様なはげしい揺れにおそわれ立っていられず、思わずその場に手と膝をついた。津波のことが頭に浮かび、余震の中家に帰り、おびえる牛を引いて高台の家へ避難した。河口からは、はまぼうの林を飲み込むような高さで赤濁りの水が壁のようになった押し寄せてきた。
昭和19年東南海地震 体験談(宿田曽 川口祐二さん)
川口祐二(当時小学校6年生)小学校で授業中に地震が起きた。田曽城跡(通称三本松)に避難したとき、葛島の普段は海中で見えないところが見えるくらいまで潮が引いた。
昭和19年東南海地震 体験談(五カ所浦 川村 靖夫さん)
川村靖夫(当時小学校5年生)小学校で翌日の大詔奉戴日のため、萱を叩いて綿毛を取る作業をしている最中に地震が起きた。驚いてみんなで騒いでいたら先生に正座するよう命じられたので、当初は避難しなかった。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 廣 ひでさん)
廣ひで(当時小学校6年生)五ヶ所小学校にて被災、高所へ避難し津波を目撃。防風林の松や石垣が流された。五ヶ所農協での浸水被害を父から聞く。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町[当時 度会郡吉津村] 長井 司さん)
長井司(当時5歳)吉津村河内小学校にて被災。一人で立っていられない揺れ。後日、神前の津波被害を目撃。大きな家や土蔵以外は何も残らず流されていた。亡くなった人も多かった。小学校に兵隊駐屯の記憶あり。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 山本篤さん)
山本篤(当時14歳)五ヶ所小学校にて被災。地震の後に外へ出て津波を目撃。水の流れは東側の病院の下をぐるっと回り、現在の小学校へ突き当たって西向きに進む向きだった。津波で泥が大量に打ち上げられた。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 萩原敏男さん)
萩原敏男(当時19歳)南勢町内瀬にて被災、津波を目撃。牛舎に崩れがあり牛を避難させた。津波は橿原の橋の近くまで来た。第2波は内瀬の川口で止まった。壁のように迫りくる波を見た。
南伊勢町の安政の地震・津波(絵本)
南伊勢町では1704年宝永地震から300年の間に、安政、昭和東南海と3回地震津波に襲われたが、安政地震が一番人的被害が少なかった。理由として当時、庄屋を中心に防災意識が高かったことが挙げられており、そ
南伊勢町神津佐の墓地手前東側の道沿いにある「爲溺死菩薩」
南伊勢町神津佐の墓地手前東側の道沿いにある「爲溺死菩薩」。 正面碑文には、「寶永四丁亥十月四日津浪」、「安政元甲寅十一月四日津浪」の文字がある。