熊野市史年表

他のできごととともに、地震・津波があったことを、参考にした文献名とともに年代形式でまとめている。(P2~3、6~9、32~33、36~37、42~43、48~51、66~67、80~81、92~93、
続きをみる»
「津波の碑」をめぐる

熊野市二木島町 逢川橋脇の墓地入口にある「森本福太郎翁顕彰碑」と、 「東南海大地震津波到達地点」の碑

熊野市二木島町の逢川橋脇の墓地入口にある「森本福太郎翁顕彰碑」と、 「東南海大地震津波到達地点」の碑。「東南海大地震津波到達地点」の碑は、1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。
続きをみる»
「津波の碑」をめぐる

熊野市二木島町 荒坂中学校に上る道路脇にある「東南海大地震津波到達地点」の碑

熊野市二木島町の荒坂中学校に上るJR線路沿いの道路脇にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。
続きをみる»
「津波の碑」をめぐる

熊野市遊木町 光明寺境内の「嘉永の津波供養塔」

熊野市遊木町の光明寺境内にある「嘉永の津波供養塔」。1707年宝永地震の際に、大地震と津波があったことや、1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間』や同文献が引用している『新くまの風土記』に詳しい。
続きをみる»
12