熊野市遊木町の光明寺境内にある「嘉永の津波供養塔」。1707年宝永地震の際に、大地震と津波があったことや、1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間Vol.23』や同文献が引用している『新くまの風土記』に詳しい。

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タイトル 熊野市遊木町 光明寺境内の「嘉永の津波供養塔」
概要 熊野市遊木町の光明寺境内にある「嘉永の津波供養塔」。1707年宝永地震の際に、大地震と津波があったことや、1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間Vol.23』や同文献が引用している『新くまの風土記』に詳しい。
タイトル2 20141105奥野03212
概要2
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 奥野真行
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2008年 08月 02日 00時 00分 00秒
コンテンツの住所 三重県熊野市遊木町
コンテンツの撮影場所
タグID 熊野市遊木町,津波記念碑,1854,安政東海地震,津波教訓,津波様相,被害,嘉永7年(1854)安政東海地震
コンテンツ種別 文書

コンテンツに関する詳細情報