昭和19年東南海地震 体験手記(南伊勢町 萩原 敏男さん)
萩原敏男(当時19歳)
私は第二次世界大戦による招集を受けており、入隊を数日後にひかえて、父とみかん山で大石など重い物の片付けをしていた。突然足下をすくわれる様なはげしい揺れにおそわれ立っていられず、思わずその場に手と膝をついた。津波のことが頭に浮かび、余震の中家に帰り、おびえる牛を引いて高台の家へ避難した。河口からは、はまぼうの林を飲み込むような高さで赤濁りの水が壁のようになった押し寄せてきた。
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昭和19年東南海地震 体験手記(南伊勢町 萩原 敏男さん)
萩原敏男(当時19歳)
私は第二次世界大戦による招集を受けており、入隊を数日後にひかえて、父とみかん山で大石など重い物の片付けをしていた。突然足下をすくわれる様なはげしい揺れにおそわれ立っていられず、思わずその場に手と膝をついた。津波のことが頭に浮かび、余震の中家に帰り、おびえる牛を引いて高台の家へ避難した。河口からは、はまぼうの林を飲み込むような高さで赤濁りの水が壁のようになった押し寄せてきた。
亀山市の市民グループが学童保育所で防災教育
亀山市で防災の啓蒙活動を行っている市民グループ「かめやま防災ネットワーク」は3月26日、同市みどり町にある学童保育所「くれよんくらぶ」で、小学生約50人を対象に防災について学ぶ出前講座を開いた。講座では、防災に関するクイズや、災害時に役立つ新聞紙を使ったスリッパ作り、車いすの試乗などが行われ、子どもたちは同ネットワークのメンバーと一緒にさまざまなプログラムを体験し、防災について学習した。
みえ防災・減災アーカイブを正式公開
2015年4月28日に「みえ防災・減災アーカイブ」を正式公開しました。
三重県・三重大学 みえ防災・減災センターでは、過去の災害記録や防災活動記録をデジタルアーカイブ化して、この度「みえ防災・減災アーカイブ」として正式公開に至りました。
「昭和東南海地震70年シンポジウム」が開催されました
12月6日(土)、津リージョンプラザ お城ホールにおいて、「昭和東南海地震70年シンポジウム」が開催されました。東京大学大学院総合防災情報研究センターの古村孝志教授から「大規模地震・津波災害に備えて」と題した基調講演のほか、試験運用調の「みえ防災・減災アーカイブ」の紹介も行われました。
「伊勢湾台風、昭和東南海地震等の体験記」募集中
昭和19年12月7日午後1時35分頃、熊野灘を震源として発生した昭和東南海地震は、三重県に甚大な被害をもたらしました。
その他、伊勢湾台風など大きな被害をもたらした過去の自然災害の記録と記憶を次世代に繋げていくための体験記を募集しています。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(小俣町明野 野村スマさん)
野村スマ(当時21歳)大日本帝国陸軍明野飛行学校内掩体壕内で、通信班として地図のボード前でヘッドフォーンを装着し、業務を行っていたところ、突然大きな揺れに襲われた。
昭和19年東南海地震 体験談(一志郡太郎生村(のちの美杉村) 小林 吉秀さん)
小林吉秀(当時、太郎生国民学校初等科6年、一志郡太郎生村(のちの美杉村)在住)は、自宅の畑で地震に遭った。近くの山が3割くらいの範囲に亘って割れて崩れ、太郎生の集落の方へ落ちてきた。