昭和19年東南海地震 体験談(一志郡太郎生村(のちの美杉村) 小林 吉秀さん)
小林吉秀(当時、太郎生国民学校初等科6年、一志郡太郎生村(のちの美杉村)在住)は、自宅の畑で地震に遭った。近くの山が3割くらいの範囲に亘って割れて崩れ、太郎生の集落の方へ落ちてきた。
昭和19年東南海地震 体験談(芸濃町 伊藤 三枝さん)
伊藤三枝(当時小学生)小学校で工作の準備中に地震が起きた。当日夜、余震が続いていたので、防空壕に布団を運び入れて寝ていた。
昭和19年東南海地震 体験談 (津市 駒田旦)
駒田旦(当時12歳)津市修成小学校で理科の実験中に被災。机の上が火事に。防火用水の水があふれる。外に出て東洋紡の煙突が崩れ落ちたのを目撃した。
昭和19年東南海地震 体験談(津市栗真町屋町 伊藤 俊男さん)
伊藤俊男(当時、栗真国民学校高等科2年)は、授業中に地震が起き、誰に言われるでもなく外へ飛び出した。自宅近くの常夜燈2基が壊れていた。
昭和19年東南海地震 体験談(津市 宇田 操さん)
宇田操(当時14才)一志実業女学校の寄宿舎で大きな揺れにあう。防火用水の水があふれ、避難しようとしたが歩けないほどの揺れ。地面に長いひび割れ。寄宿舎の壁も落ちた。実家の五ヶ所では津波で松林が流された。
昭和19年東南海地震 体験談(津市一身田 奥山 和夫さん)
奥山和夫(当時、高田中学校2年)は、授業中に地震が起き、教室を飛び出した。立っていられないほどの揺れで、松の木の根元にしゃがみこんだ。
昭和19年東南海地震 体験談(津市栗真町屋町 一ノ木 欣一さん)
一ノ木欣一(当時、倉敷紡績工場勤務)は、工場内のボイラー室にいるときに地震が起き、屋外の石炭置き場へ逃げた。工場内の食堂で床が割れ、液状化のような様子が見られた。
三重県史 資料編 近世4(下)
平成11年発行。「第4章 幕末の社会 第2節 地震・津波 第二節 地震・津波」の項に記載がある。その中で、安政伊賀地震、安政東海地震、安政江戸地震の三つの地震について、地震の様子や被害を示す史料が掲載
三重県史 資料編 近代4 社会・文化
平成3年発行。「第3部 第4章 戦時下の生活と文化 第4節 災害 二 東南海地震」の項に記載がある。その中で、東南海地震について、「県警災害復興本部の設置と諭告」、「震災につき内政部長通牒」、「東京大