昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(小俣町明野 野村スマさん)
野村スマ(当時21歳)大日本帝国陸軍明野飛行学校内掩体壕内で、通信班として地図のボード前でヘッドフォーンを装着し、業務を行っていたところ、突然大きな揺れに襲われた。
昭和19年東南海地震 体験談(一志郡太郎生村(のちの美杉村) 小林 吉秀さん)
小林吉秀(当時、太郎生国民学校初等科6年、一志郡太郎生村(のちの美杉村)在住)は、自宅の畑で地震に遭った。近くの山が3割くらいの範囲に亘って割れて崩れ、太郎生の集落の方へ落ちてきた。
昭和19年東南海地震 体験談(宿田曽 川口祐二さん)
川口祐二(当時小学校6年生)小学校で授業中に地震が起きた。田曽城跡(通称三本松)に避難したとき、葛島の普段は海中で見えないところが見えるくらいまで潮が引いた。
昭和19年東南海地震 体験談(芸濃町 伊藤 三枝さん)
伊藤三枝(当時小学生)小学校で工作の準備中に地震が起きた。当日夜、余震が続いていたので、防空壕に布団を運び入れて寝ていた。
昭和19年東南海地震 体験談(五カ所浦 川村 靖夫さん)
川村靖夫(当時小学校5年生)小学校で翌日の大詔奉戴日のため、萱を叩いて綿毛を取る作業をしている最中に地震が起きた。驚いてみんなで騒いでいたら先生に正座するよう命じられたので、当初は避難しなかった。
昭和19年東南海地震 体験談(楠町 宮崎 洋子さん)
宮﨑洋子(当時小学生)小学校で習字の時間に地震が起きた。先生がいつもと違う尋常じゃない声で机の下に入るよう命令した。グラウンドへ避難したら、東洋一といわれていた石原産業の煙突が折れているのが見えた。
昭和19年東南海 体験談(尾鷲市 山西 俊徳さん)
山西俊徳(当時小学6年生)尾鷲小学校の運動場で騎馬戦をやっている最中に地震が起きた。教室から鞄を取って帰ろうとしたとき、津波だと言われ、学校裏の中村山へ避難した。山の上から津波が見えた。海岸近くの自宅は150mくらい流され、両親は遺体で見つかった。
昭和19年東南海地震 体験談(尾鷲市九鬼町 疋田 まほさん)
疋田まほ(当時九木(のちに九鬼)国民学校初等科1年、尾鷲市九鬼町在住)は自宅にいたところ、地震に遭い、甥をおんぶし、妹の手を引いて、臨月の姉と家の前にある石段を上り、真厳寺のうえの「みかん山」まで逃げた。
昭和19年東南海地震 体験談 (津市 駒田旦)
駒田旦(当時12歳)津市修成小学校で理科の実験中に被災。机の上が火事に。防火用水の水があふれる。外に出て東洋紡の煙突が崩れ落ちたのを目撃した。