昭和19年東南海地震 体験談(鈴鹿市 山口 俊二さん)
山口俊二(当時中学3年生、学徒動員中)鈴鹿海軍航空基地にて被災。外に逃げて石原産業の煙突が落ちたのを見た。工場内の部品などがぐちゃぐちゃになって元に戻すのに手間がかかった。1週間ほど余震を感じた。
鈴鹿市三日市郷土誌 その二 神社郷土編
「三日市の災害」として、1944年東南海地震や1959年伊勢湾台風の際の地区内での被害の様相が記されている(P134~)。東南海地震では、家屋3軒が倒壊し、墓石や常夜灯のほとんどが倒れたことが記されて