当時の四日市商業学校四年生の動員生活について掲載している「四日市商業高等学校『創立60周年記念誌』」を引用する形で、1944年東南海地震の際、動員先となった名古屋市内の製作所の寮の灯が消え、水道も機能を失ったことについて記されている(P749~750)。