昭和19年東南海地震 体験談(三重郡八郷村 現四日市市平津町 鈴木 怜子さん)
鈴木玲子(当時、11歳小学校5年生)は、小学校の運動場に整列し、先生の話を聞いていた。カタカタ小さく揺れていると思ったら、大風が吹き、砂を巻き上げるなか、大きな揺れが来た。揺れの間、ずっと大風が吹いていた。
昭和19年東南海地震 体験談(尾鷲市(旧南牟婁郡南輪内村曽根) 森 静代さん)
森静代(当時21歳)南牟婁郡南輪内村曽根の実家で被災。井戸で時間的余裕を確認し避難準備するが間に合わず、屋内に閉じ込められたまま天井近くまで浸水。救助されたが被災後、家族の死亡が相次ぐ。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 白峰 圭子さん)
白峰圭子(当時5歳)子供だけで留守番中に被災。柱にしがみついていた。石原産業の煙突が無くなっているのを後で見た。被災後、近所で助け合いをしたのを覚えている。
昭和19年東南海地震 体験談(松阪市 垣本 宗郎さん)
※画像をクリックする事で動画の再生が始まります。 タイトル 昭和19年東南海地震 体験談(松阪市 垣本宗郎) 概要 垣本宗郎(当時8歳)松阪市飯南郡花岡町立花岡国民学校にて被災。昼食後に揺れ先生の指示
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町[当時 度会郡吉津村] 長井 司さん)
長井司(当時5歳)吉津村河内小学校にて被災。一人で立っていられない揺れ。後日、神前の津波被害を目撃。大きな家や土蔵以外は何も残らず流されていた。亡くなった人も多かった。小学校に兵隊駐屯の記憶あり。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 山本篤さん)
山本篤(当時14歳)五ヶ所小学校にて被災。地震の後に外へ出て津波を目撃。水の流れは東側の病院の下をぐるっと回り、現在の小学校へ突き当たって西向きに進む向きだった。津波で泥が大量に打ち上げられた。
昭和19年東南海地震 津波伝聞 (亀山市 廣出 香代さん)
廣出香代(当時17歳)亀山市女子師範学校にて被災。授業中に大きな揺れ。寮に帰るまでに大きな地割れを見た。尾鷲出身の友人から、天井まで浸水との被害状況を聞く。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 森下 頴幸さん)
森下頴幸(当時16歳)四日市市の第二海軍燃料廠に勤務中に被災。石原産業の煙突が倒壊。実家が五ヶ所のため帰省する。津波で水浸しの為、復旧を手伝う。昭和東南海・南海・三河の地震体験日記あり。
昭和19年東南海地震 被災伝聞(伊賀市 廣出良夫さん)
廣出良夫(当時およそ20歳)の母親の体験。立っていられないほどの揺れで娘(話者の姉)と支えあった。上野市駅近くの柳の木の地面に幅1m高さ30cmほどの陥没が見られた。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 萩原敏男さん)
萩原敏男(当時19歳)南勢町内瀬にて被災、津波を目撃。牛舎に崩れがあり牛を避難させた。津波は橿原の橋の近くまで来た。第2波は内瀬の川口で止まった。壁のように迫りくる波を見た。