昭和19年東南海地震 体験談(海山町引本浦 植村 明さん)
植村明(当時山口県防府市在住海軍予科練所属、海山町引本浦出身)戦後、出身地の引本浦へ戻り、初めて昭和東南海地震と津波のことを知った。昭和19年の年末に母親が送ってきたハガキは黒塗りされており、情報が伝わらなかった。平成6年12月7日に体験談集を発刊、当時の写真などを集めた展示会も開催した。
昭和19年東南海地震 体験談(津市栗真町屋町 伊藤 俊男さん)
伊藤俊男(当時、栗真国民学校高等科2年)は、授業中に地震が起き、誰に言われるでもなく外へ飛び出した。自宅近くの常夜燈2基が壊れていた。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市(旧三重郡八郷村)森 逸郎さん)
森逸郎(当時、5歳)は、自宅の縁側にいるとき、母親に言われて釜戸のところへ行き、足台のうえにいたときに揺れが起きた。慌てて履物もはかず、裏口の方へ行こうとしたが、足が思うように進まなかった。やっと裏口から外へ出ると、浄泉寺が大きく揺れ、傾いて見えた。後で兄と寺へ上がると、寺の裏の墓が全部倒れていた。
昭和19年東南海地震 体験談(津市 宇田 操さん)
宇田操(当時14才)一志実業女学校の寄宿舎で大きな揺れにあう。防火用水の水があふれ、避難しようとしたが歩けないほどの揺れ。地面に長いひび割れ。寄宿舎の壁も落ちた。実家の五ヶ所では津波で松林が流された。
昭和19年東南海地震 体験談(南伊勢町 廣 ひでさん)
廣ひで(当時小学校6年生)五ヶ所小学校にて被災、高所へ避難し津波を目撃。防風林の松や石垣が流された。五ヶ所農協での浸水被害を父から聞く。
昭和19年東南海地震 体験談(津市一身田 奥山 和夫さん)
奥山和夫(当時、高田中学校2年)は、授業中に地震が起き、教室を飛び出した。立っていられないほどの揺れで、松の木の根元にしゃがみこんだ。
昭和19年東南海地震 体験談(津市栗真町屋町 一ノ木 欣一さん)
一ノ木欣一(当時、倉敷紡績工場勤務)は、工場内のボイラー室にいるときに地震が起き、屋外の石炭置き場へ逃げた。工場内の食堂で床が割れ、液状化のような様子が見られた。
昭和19年東南海地震 体験談(菰野町 稲葉吉彦さん)
稲葉吉彦(当時9才)菰野町菰野小学校運動場で、授業中に大きな揺れに見舞われた。周囲にあった堀の水があふれ、運動場に地割れが見られた。家の塗り壁にひび割れ。発災時に山にいた母が危うく落石に当たるところだった。
昭和19年東南海地震 体験談(三重郡八郷村 現四日市市平津町 服部 泰道さん)
服部泰道(当時、8歳小学校2年生)は、教室で漢字の書き取りの練習をしていたところ、窓がガタガタいうので、最初は風かと思ったが、誰かが地震だと言った。どうしようか考えていると担任の中村先生が血相を変えて教室に飛び込んできて、外へ逃げなさいと言われた。慌てて廊下へ飛び出したが、廊下の床が弾むように揺れ、足を取られて前に進めなかった。
昭和19年東南海地震 体験談(鈴鹿市 山口 俊二さん)
山口俊二(当時中学3年生、学徒動員中)鈴鹿海軍航空基地にて被災。外に逃げて石原産業の煙突が落ちたのを見た。工場内の部品などがぐちゃぐちゃになって元に戻すのに手間がかかった。1週間ほど余震を感じた。