当時の回顧として、1944年東南海地震の際、しばらくして大津波が来襲し、浜一面に乾かしてあった切干し芋など何もかもが一瞬にして波にさらわれたこと、倒壊家屋は一軒で死者はなかったが、表浜の舟や浦の真珠いかだなどの被害が甚大であったこと、その後余震頻発したため、竹藪で一夜を過ごしたことなどが記されている(P11~12、P89)。