三重県教育史 年表統計編
1944年東南海地震の際、桑名市内の工場で勤労動員中の中学4年生が、倒壊した工場の煙突の下敷きになって死亡したことが記されている(P179)。
三重県漁船保険組合70年史
錦漁業協同組合が編纂した「錦町漁業の変遷」に掲載されている手記「海上で見た大地震と大津波」を引用する形で、1944年東南海地震の際、海上で体験した地震や津波の状況、錦町内の被害状況などが記されている(
軌跡-国児学園90年史-
昭和19年の国児学園の様子の中で、1944年東南海地震の際、近来まれな大強震により、学園各建物の被害が相当あったこと、9日まで地震被害の後片づけが終日続いたこと、また「震災・罹災者ニ対スル寄付ノ件」な
津市市制施行100周年記念誌
1953年台風第13号や1959年伊勢湾台風の際の、津市内での被害状況や写真が掲載されている(P108~109)。
あなたにも知ってほしい高茶屋120年の歩み
1944年東南海地震の際、高茶屋では立っては歩けないような揺れであったことや、浄誓寺の大きな墓石が倒れたこと、その墓石が倒れた写真が掲載されている(P51)。
三重県議会史 第三巻下
昭和20年2月26日に臨時県会が開催され、東南海大地震の災害復旧予算を審議した際の詳細な状況が記されている(P1922~1932)。
三重県議会史 第三巻上
昭和20年2月臨時県会が招集され、震災対策復旧予算が可決されたこと(P152)、昭和19年12月13日に全員協議会が開催され、東南海大地震の被害状況の詳細説明と、復興対策について協議したことが記されて