昭和19年の国児学園の様子の中で、1944年東南海地震の際、近来まれな大強震により、学園各建物の被害が相当あったこと、9日まで地震被害の後片づけが終日続いたこと、また「震災・罹災者ニ対スル寄付ノ件」などが記されている(P66~68)。