1944年東南海地震の際、午後の授業中に地震が襲い、瓦の落下などの被害があったこと、津波により観光道路まで浸水したこと、校地の地盤が沈下し、それ以来、運動場が満潮時浸水するようになったことなどが記されている(P343)。