ひとめで分る紀伊長島郷土史
1944年東南海地震の際の、長島、二郷、三野瀬、錦の各地区の被害や、江の浦橋が流失したことが記されている(P48)。
紀北町紀伊長島区長島 仏光寺境内の「津波供養塔」
紀北町紀伊長島区長島の仏光寺境内にある津波供養塔。供養塔が二つ並んであり、向かって右側の碑が、1707年宝永地震津波の供養塔、左側の碑が、1854年安政東海地震津波の供養塔である。それぞれの碑には、津波による被害の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。
紀北町紀伊長島区三浦 三浦漁民センター横堤防脇の「津波之碑」
紀北町紀伊長島区三浦の三浦漁民センター横堤防脇にある「津波之碑」。1944年東南海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相などが記されている
紀北町海山区相賀 日和山山麓下の「奉石書佛経宝塔」の碑
紀北町海山区相賀の日和山山麓下にある「奉石書佛経宝塔」の碑。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。
紀北町海山区引本浦 吉祥院山門脇の「津波の碑」
紀北町海山区引本浦の吉祥院山門脇にある「津波の碑」。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。